対位法の変動・新音楽の胎動
ちょっと探し物があって、久しぶりに山野楽器を覗いたら、あ、東川清一さんの新刊だ!驚いて小躍り、迷わず即買いしましたよ。そのまま喫茶店へ直行して、もう前から後ろから読み漁る。と、よく見たら一年も前に出てたんですね。しかも著者じゃなくて編者だ。しかし落胆するまでもなく、もの凄い、めちゃくちゃに面白い。やっぱりこの方、本当に素敵。いつかお会いして、お話を伺ってみたい。
対位法の変動・新音楽の胎動 ルネサンスからバロックへ 転換期の音楽理論
- 作者: 東川清一
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2008/09/25
- メディア: 単行本
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デンマークの音楽学者クヌズ・イェバサン*1の「対位法理論史概要」から、一部引用してみる。
このことに関連してクレールが述べているところでは、和声法を徹底的に勉強してから対位法に進む生徒は、旋律と和声を結び合わせることにかけては、個別音もある特定の和音の代理人として捉えるしかないほどまでに慣れてしまっているので、そこに含まれない音を心のなかで思い描いて、二つの音だけから一つの和声を形作ることも、さほど難しくない。そこで、特定の和音の最も好都合な表現なり代行を生むには、取り扱われるべきどの旋律も(あるいはどの定旋律も)まずは4声部の和声づけされなければならない。そこで2声部の作曲では、その和声を最もよく、最も明瞭に代行する音を選ぶことが大切であるということになるが、それと同時に、声部進行上の気配りが十分におこなわれるよう配慮しなければならないこともまた当然である。対位法を和声的に根拠づけることを、これ以上はっきりと言葉で言い表すことは難しいであろう。
実にシビれる。こんなシビれる論説の紹介が連発。
すべての実学がそうであるように、対位法の歴史は葛藤の歴史だ。もちろん書籍の序文にもあるとおり、対位法と和声法は、1つのものの2つの面でしかない。どちらかが優位であるとか、どちらかへの移行であるとか、そういう単純な話ではあり得ないと、第二部では、16世紀に始まるヌォーヴェ・ムージケの胎動とその革新への正しい理解が促される。「歌詞の情緒を表現するために、それまでの対位法の規則では許容されていなかった不協和音程を使ってよいか」というアルトゥージ=モンテヴェルディ論争の検証が示されるのは、そのひとつ。商業音楽全盛の21世紀に生きる我々にとっても、いまだに新鮮に響く。