ルール集合としての和声
実はこの部分はコンピューター将棋の探索と全く同じなのである。音符一つ(音符の高さ・音符の長さ)が将棋の指し手に相当し、音符を一つ置くことが将棋ではその指し手で局面を進めることを意味する。将棋で読みのなかで局面をいったりきたりするが、音符を足したり、消したりするのはそういう理由からである。そして、将棋であれば最終的な点数(将棋であれば最善応手列≒読み筋)の末端局面の評価値が最大になるような現局面での指し手を探すが、曲作りのときも、最終的な点数が最大となるような音符の並びを探し出せば良いのである。
ボカロ(作るところから)はじめました - やねうらお−ノーゲーム・ノーライフ
やねうらおさんの、ものすごい挑戦には、どうしたって期待と興奮とが入り混じります。
一方で、今でも、おそらく今後も、必死に習得しようと努力を続けているペンタトニックの筒は、僕にとってのルール集合なのだろうか。
それとも僕にとって、音楽そのものだろうか。