起立-礼-着席
さて、下記みたいな投げ遣りな態度じゃ意味不明だと怒られそうなので、ちょっとだけ簡単な実例を挙げてみようかと思う。そうだな、授業の前に挨拶する「起立-礼-着席」のアノ曲でどうだろう。ボイシングは、いろんな意見がありそうなので、皆様にお任せすることにしよう。
C G C
演奏しながら、反射的にお辞儀してしまった皆さんも多いかと思う(いねーよ!)。
さてこの、最後のCを、ドミソ空間のミを、ファに換えてみようというのが今日の試みのひとつである。
C G Csus4
どーうですか?この肩透かし、もうカクーンとしちゃいますね。最後の「着席」感が、失われてしまった。
よーし、もうひとつやってみよう。真ん中のGを、ソシレ空間のシを、ドに換えてみよう。
C Gsus4 C
どーうですか?このすっぽ抜け、もうすっぽんですよね。途中の「礼」がすっぽんなために、やっぱり「着席」感すら失われてしまった。
よーし、組み合わせてやってみよう。両方換えちゃう。
C Gsus4 Csus4
もうアレですよ、すっぽ抜けた挙げ句にカクーンですよ。完全に元の時間的空間移動は失われてしまった。
これは2つのsus4の仕業なんでしょうかね?
吊るされた四度といえば、機能和声と相容れないだとか、現代の手法だとか、いろんな意見があると思うんですがしかし、sus4の出現とともに何かが失われたからといって、その原因がすなわちsus4にあるという推論は、やや短絡じゃなかろうか。冤罪の可能性だってあるんじゃないだろうか。sus4だって人の子である(誰の子だ)。よく調べずに、そんな決めつけ方していいのだろうか?本当にいいんですか、刑事さん!
誰が刑事さんかよくわからないが、僕は別のやり方で、sus4を使わずに、すっぽ抜けた挙げ句にカクーン感を実現することができるよ。
C C/G F
ほーら*1。不思議ですね、音楽って。
メロディまで考えだしたら、そのスペクタクロな世界たるや、もう二度と抜け出ることは不可能さ。
*1:聴こえたでしょ?心の耳で聴こえたでしょ?反論は受け付けないぜ!え、C/Gはsus4じゃないかって?うーむ、たしかに。