国家(上)
さて5月になってしまったが、黄金週間大型特集として、プラトンの国家をとりあげてみよう。
本日は全二回のうち前編、上巻に含まれる音楽に関する議論を覗き見してみる。例によって、書評つーか単に抜粋、つまみ食いであることは事前にご了承のほど4649。
- 作者: プラトン,藤沢令夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1979/04/16
- メディア: 文庫
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「国家のすぐれて立派な守護者となるべき者」に対する教育論から、魂のために音楽・文芸が論じられる部分である。第三巻の十章から十二章にかけて、僕の持っている岩波文庫だと、P.209あたりからの部分になりまっす。早速引用してみよう、まずは音階!
「では、悲しみをおびた調べとしては、どんなものがあるだろうか?言ってくれたまえ。君は音楽通なのだから」
「混合リュディア調や、高音リュディア調や、これに類するいくつかのものです」
「では、柔弱な調べや酒宴用の調べとしては、どんなのがあるかね?」
「イオニア調やリュディア調のある種類のものが、『弛緩した』*1と呼ばれています」
「しかしあなたには、どうやらドリス調とプリュギア調が残されるようです」
うおおおおっ、もうすでにお腹いっぱいだぜ!部分的な抜粋なので前後の文脈がまったく不明だとは思うんですが、もし興味があったら文庫買って読んでみて下さい(800円とちと高いが)。つまりなんだか要するに、「教育的な」調べみたいのを探ってる流れではありますが、スゲー具体的でびっくり。
十一章から、話はリズムに移ります。
「脚韻には基本的に何か三種類の型があって*2、さまざまの脚韻はそれらから組成されていること、それはちょうど音声の場合に、すべての調べ(音階)を組成するための四つの基本的なものがある*3のと同様であるということ、このことなら、すでに私の観察したことであって、ちゃんと言うことができます」
ううーむ、これ書かれたのってば、一体いつなんだ?スゲー、ほんとにスゲー。
そして十二章では、教育の目的がもう圧倒的に語られてしまう。僕らの音楽教育に、こんなフレーズがあったろうか?
「音楽・文芸のことは、その終局点として、美しいものへの恋に関することで終らなければならないはずなのだ」
さて例によって予定通り、抜粋しただけで既に感動が巨大ですから、僕の余計なコメントはなしに今日は終了。
次回後編、哲人のための音楽理論も乞うご期待!
*1:「弛緩した」あるいは「ものうい」という語は、少し前に出てきた「高音リュディア調」の「高音(緊張した)」と反対の性格を示す。―この前後の箇所によると、調べ(音階)の基本的な種類には、リュディア調、イオニア調、ドリス調、プリュギア調の四つがあり、これに「緊張した」(シュントノス)、「弛緩した」(カララ)の変様を加えて、次の六つの調べ(音階)が行われていたことになる。(1)ミクソ(混合)・リュディア調、(2)シュントノ・リュディア調、(3)カラロ・イオニア調、(4)カラロ・リュディア調、(5)ドリス調、(6)プリュギア調。
*2:詩の一行の韻律を構成する単位は、音節の長(―)短(⊂)の組合せ(前者は後者の二倍の長さ)からなる「脚」(プゥス)と呼ばれる。脚韻の三つの基本的な型とは、(1)ダクテュロス(―⊂⊂)やスポンダイオス(――)やアナパイストス(⊂⊂―)のように、組合せが2:2の比である脚、(2)パイアーン(―⊂⊂⊂)やクレーティコス(―⊂―)のように、3:2の比の脚、(3)トロカイオス(―⊂)やイアンボス(⊂―)のように、2:1の比の脚のこと。
*3:これが何を指すのかについては解釈がさまざまに別れている。音階を構成する基本的な諸音程をなす四つの数的な比(2:1、3:2、4:3、9:8)のことか、あるいは先に出てきた四つの調べ(プリュギア調、リュディア調、ドリス調、イオニア調)のことか。