作曲家の世界
さて毎度おなじみ「今更こんなもん読んでんのかよ!」、略して更読のコーナーであります。うおおなんかちょい久々。
現象学的には、本屋をふらふらワインディングしてたらつい目が合っちゃったねのコーナーでもありまっす。うおお現象学じゃねー!
- 作者: パウルヒンデミット,Paul Hindemith,佐藤浩
- 出版社/メーカー: 音楽之友社
- 発売日: 1998/12/10
- メディア: 単行本
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さてヒンデミットは素敵な作曲家ですが、和声の理屈好きにとっての彼といえば、なんといっても結合音であります。「ミとソが鳴ったら、心の耳でドがきこえるだろ?」というアレね。
「2つの周波数の差分に相当する音がきこえる」文脈では一般に、その内容や専門用語が僕らに与えるインパクト、はたまたそれらに対するコンプレックスからか、ついつい物理屋的な議論に終始し(というかそれで手一杯になり)がちである。限りない英知を標榜する誇り高き音楽理屈屋としては、そういうのはまあ「やればできる」とかいって逃げて後回しにするとして*1、僕が今日注目したいのは、結合音そのものやそれに付随する和声の理屈よりもむしろ、「なぜヒンデミットがそれを必要とした(または欲した)のか」ということ。
コレ関連の議論にはそうはいっても、「レも鳴ったらどう考えるの?」とか「和声の理屈に適用すべきなの?」とか、そういう突っ込むべき細かい話もたくさんありそうだけど、そりゃまた今度で。いいんです別に。こういうのはね、心意気なんですよ心意気。
「調性」や「機能」に対して、つまり僕らがシンプルに感じることのできる「音楽の素敵」を構成する要素に対して、思い入れを持っていたであろう彼ヒンデミットが、なぜ「結合音」理論を必要としたのか。今日はここに注目しながら、この本を読んでいきたいと思う。彼だって、時間軸を意識した動的な見方を、常に重要視してきた。机の上で静的にガリガリ三角関数と格闘するなんてのは、音楽のほーんのちょびっと一側面に過ぎないってことなんて、21世紀の音楽家にとっては自明だ。え、動的に格闘しろ?そんなの難しすぎて無理っスよ。
ところが和声は、善悪を知る智慧の木のようなものである。いったん人がその木の実を味わったならば、もはやその人は、人生の事実に無邪気な態度で接することが出来なくなる。我々の音楽は、約千年この方、もっぱら和声構造を持ったものとして発展してきたため、我々にとっては、和声的、調性的な意味を考えずに旋律線を理解することは、全く不可能である。旋律の中で、次々に並んでいる音同士が作り出す音程は、元来の旋律としての働きのほかに、和声的な意味を持っているのであって、我々の注意は、いやでもその和声的な意味に向けられる。これらの和音は、ちょうど縦の和音の場合と同様に、なにも我々が進んで解釈を加えることがなくても、ひとりでに基本和音の周囲に集まる。
我々の注意が向けられるところの「和声的な意味」、ひとりでに集まるところの「基本和音」、伝統的な和声学で与えられる長音階の三度積みからの間引き理論で、これらを説明しようとするご都合主義に対するヒンデミットの抵抗が、結合音への想いなのではなかったのかと、ペンタトニックの筒的な僕としては考えざるを得ない。
具体的にいえば、彼の中の(誰もの中の)音楽プロセスとしては、ミとソの二音がアプリオリに与えられるのだ。間違っても、「(静的に積まれた)ドミソからドを引く」発想なんかじゃない。にもかかわらず僕らにドの重力が迫ってくるのはなぜか、ラモーらによるすり込みなのだろうか。彼はこれに叛旗を翻す。
単なる音程であっても、また音程の積み重なった和音であっても、とにかく空間の単位は、それだけでは、自動車がガソリン無しでガレージの中に置かれてあるようなものである。もし我々がこれを運転させないならば、それは実際に何の価値もない。だから、もし我々が音楽に生命を吹き込もうと思うならば、我々は空間の単位を音楽の時間の単位と結びつけなければならない。
そのために彼が探った道具、「もっとすぐれた規則」のひとつが結合音であり、これを用いてヒンデミットは、「水の流れ」を創り出す自らのモデル化を試みたのだ。
我々は音楽の素材を測定することによって、その性質を知るのであり、更にその性質を知って初めて、その素材を適用するための最上の方法を見出すことが出来る。
「測定」が彼の、部品を捉える態度を表すキーワード。ひねり出すものじゃない、そこにあるんだ。
「動的につくり出される(僕らの愛すべき)音楽を、動的に考えようぜ!」
この本を読んでると僕には、そんなヒンデミットのメッセージがビンビンと伝わってくる。周波数や倍音列の計算をイソイソしながら五線譜に向かい合うなんて、彼のくれたプレゼントの恩を仇で返すようなもんだぜ!
長くなってしまったが、ううーむ適当にダダダと書いたここまでを読み返してみると、「勝手にお前の都合よく決めつけんじゃねーよ!」とお叱りを受けそうだがしかし、客観的な書評など豚の餌にも尻拭く紙にもならないことを鑑みると、うむエンターテイン日記としてはまずまずか。
*1:例えばこちらに素敵なサイト発見。http://members.ytv.home.ne.jp/alba2003/harmony%2004.htm