自動演奏と脳内音楽
id:bonar:20090618で見つけた「ピアノ演奏の自動補正」というのが面白い。1)不協和度を計算し、2)コード進行を加味して、音程を自動的に補正するのだそうだ。こんなふうに計算機を活用できるなんて、テクノロジーって本当に凄い。
「『音楽を馬鹿にしてる』といった感じのおしかりを受ける」とのことだが、実際のところ、そうでしょうね。僕も反射的に思いました、「コレもぐら叩きと一緒だよね?」って。というか、もぐらを探してすらいない。
もうちょっと真面目に考えてみたい。「本物の」音楽と、この自動補正された演奏との違いは何か。でもそれってあんまり簡単じゃない。うかうかすると、哲学的になっちゃう。
自動補正のプロセスに沿ってみよう。「不協和」かどうかってのは、もちろん文脈によるわけだ。でも、じゃその「文脈」って何だ?という問いに、僕らは簡単に答えられるのかといえば全然無理。例えばドとレが同時に鳴るとき、それが不協和じゃないと主張するとき、僕らはどんな「重なり」や「移り変わり」を頭に思い描くのだろうか。
「文脈」をつくり出すこととは、このプロセスでいえば「コード進行の加味」が近いのかもしれない。あらかじめ決められた道しか歩けないのは寂しいが、しかし「コード」や「スケール」を暗記して、順番に素早く繰り出すことだって、だから同じように寂しい。
とはいえ始まりはそこだったとしても、音楽の切れ端のようなものがそこから脳内に生まれ、すこしずつそれが大きくなることだってあるだろう。誰だってそうして成長してきた。
僕らが目指すものは何か、やっぱりちっとも簡単じゃない。