二声
もうずっと長いこと、二声が好きだ。あまりにも自由で、あまりにもトレーニングすることがありすぎて、その好きは到底終わりそうにない。ある瞬間を切り取っただけでも、無限の可能性が脳を襲う。
例えばドとソが鳴ったとき、僕らがイメージすることができるはずの和声は、すごくたくさんあるはずだ。それは{ド,レ,ミ,ソ,ラ}の一部かもしれない。{ド,レ,ファ,ソ,ラ}の一部かもしれない。{ド,レ,ファ,ソ,シb}の一部かもしれないし、{ド,ミb,ファ,ソ,シb}の一部かもしれない。
僕はそれを、自分の中で、自在に操れるようになりたい。
例えばドとレが鳴ったとき、僕らがイメージすることができるはずの和声は、やっぱりたくさんあるはずだ。それは{ド,レ,ミ,ソ,ラ}の一部かもしれない。{ド,レ,ファ,ソ,ラ}の一部かもしれない。{ド,レ,ファ,ソ,シb}の一部かもしれない。
これを自在に操れるようになったとき、編曲マスターを名乗れる気がする。
例えばラとドが鳴ったとき、僕らがイメージすることのできるはずの和声は、すこし限定されてくる。それは{ド,レ,ミ,ソ,ラ}の一部かもしれない。または{ド,レ,ファ,ソ,ラ}の一部かもしれない。
このときファを操ることができれば、トニックとサブドミナントが区別されるだろう。
例えばドとミが鳴ったとき、僕らがイメージすることのできるはずの和声は、かなり特定される。おそらくそれは、{ド,レ,ミ,ソ,ラ}の一部だ。
こうなったらもう、時間を動くしかない。
前にも似たようなことを書いた気がして探したら、4年前の同じ季節にあった。温度と湿度のうねりが、そう感じさせるのかもしれない。id:ioxinari:20050526